歴史を銘記し、共に未来へ
先日、私は岐阜県瑞浪市を訪問し、中国人殉難労働者慰霊碑と地下壕(ごう)を見学し、ここで遭難した中国労働者たちを深くしのびました。また日本の友人と共に、現地で中国殉難労働者をしのぶ経緯を詳細に理解しました。
1945年、日本軍国主義は地下戦闘機工場建設のため、330名の無実の中国労働者を瑞浪市に強制連行し、地下壕の掘削作業に従事させました。8カ月に及ぶ過酷な労働の末、39人が不幸にも異国の地で命を落としました。戦争の歴史を振り返り、殉難者をしのぶため、中国人殉難者瑞浪市供養会は「日中不再戦の誓い」記念碑を立て、67年から58年間にわたり追悼式を続けています。
31年9月18日、日本軍国主義が侵略戦争を仕掛け、中国やアジアの被害国人民に深い災難をもたらし、日本民衆もその被害を受けました。名古屋大空襲の傷痕は今なお一般市民の心に深く刻まれています。
戦後、日本の平和友好団体や市民たちは、侵略戦争に対する深い反省を基に、数十年にわたり中国遭難者の史料を収集し、慰霊碑を建立し、天候を問わず追悼式を行ってきました。また一部の有識者たちは戦争の資料を収集して保護し、彼らの善意ある御努力により歴史の真相が伝承され、遭難者の霊が安らぎを得ています。まさに中国の陳毅元帥がかつて述べたように、「加害者が加害の責任を忘れないほど、被害者はかつて受けた傷を癒やす可能性が高まる」ということです。
今年は「中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利80周年」であり、「台湾光復80周年」でもあります。80年前、中国人民は14年にわたる戦いを経て、抗日戦争での偉大な勝利を収め、世界反ファシズム戦争の勝利、世界の平和を勝ち取る偉大な事業に大きく貢献しました。
平和は容易に手に入るものではなく、必ず守られなければなりません。特に国際情勢は不安定が長期化、深刻化しいる今こそ、戦争の教訓を反省し、世界平和の維持と中日両国の永続的友好を実現するという共通のビジョンを展望することは、非常に重要な意義を持っています。私たちが歴史を記憶するのは、憎しみを続けるためではなく、世の中に平和の貴重さをより深く理解してもらうためです。このような歴史を経験したからこそ、中国は終始、平和的発展、互恵・ウィンウィンの道を歩み続け、人類運命共同体の構築を断固として推進しています。
中日両国2千年もの交流の中で、平和と友好は歴史の主流です。6月初めごろ、私は再び「ピンポン外交」の実物資料を展示する淳和記念館を訪問し、「小さなボールが大きなボールを動かす」というエピソードを通じて、中日国交正常化の幕開けとなった歴史を回顧しました。先代の指導者たちの卓越した政治的知恵と戦略的先見に深く感銘を受け、元日本卓球協会会長・故後藤鉀二氏など友人、先輩たちの確固たる信念と不断の努力に敬意を表しました。
中国の古語に「前事を忘れずして後事の師とす」とあります。江戸時代の著名な学者新井白石も「史は実に拠(より)て事を記して世の鑑戒(かんかい)を示すものなり」との言葉を残しています。中部地方は今まで中日友好関係のために並々ならぬ努力をされてきました。当館も各界の皆さまと共に歴史を銘記し、史を鑑(かがみ)として、中日関係の輝かしい未来を共に切り開いていきたいと思います。