2025年6月5日から6日にかけ、中国外交部アジア司長劉勁松氏は、名古屋で開催された中日外務省アジア局長協議に参加した際、中国駐名古屋総領事館主催の「中国人民抗日戦争勝利80周年記念交流会」に出席し、日本中部地方の学者、専門家や友人と深く交流を行い、「ピンポン外交」の実物資料を展示する淳和記念館やトヨタ自動車本社を訪問しました。
交流会では、劉氏は次のように述べました。今年は中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争の勝利80周年であり、台湾の「光復」80周年でもあります。80年前に人類社会が共に経験した惨禍を振り返り、戦争が残した深い教訓を反省し、世界平和の維持と中日世代友好の実現という共通のビジョンを展望することは、極めて重要な意義を持っています。80年前、中国人民は14年間の長きに及ぶ困難に満ちた闘争を経て、抗日戦争に偉大な勝利を収め、世界反ファシズム戦争の完全な勝利を宣言しました。カイロ宣言、ポツダム宣言、日本の降伏文書など一連の国際法の効力を持つ文書に基づき、甲午戦争後の50年間日本の植民地であった台湾は中国に復帰し、これは戦後国際秩序の重要な一部を構成しています。われわれが歴史の銘記を強調するのは、憎しみを継続させるためではなく、平和の鐘を鳴らし、人々が平和の貴重さをより深く理解させ、未来をより良く切り拓くためであります。陳毅元帥がかつて述べたように、「加害者が加害の責任を忘れないほど、被害者はかつて受けた傷を癒すことができる」。日本は再び歴史の問い、時代の問いに直面し、過去の歴史を正視し深く反省し、平和発展と隣国友好の正しい道を歩むべきであります。
劉氏はさらに次のように述べました。歴史的に見て、中日両国の先輩たちは「民間が先行し、民を以て官を促し、経済を以て政治を促す」という努力を通じ、両国の国交正常化を実現しました。中日友好の基盤は民間にあり、中日関係の前途と運命は両国民の手中に握られています。名古屋市は中日友好の重要な発祥地及び証しの地であり、長年にわたり中日友好のために多大な尽力をいただいた学者や友人の皆様に感謝を申し上げるとともに、今後も自信を持って困難に立ち向かい、大きな視点から見て小さなことから実践し、積み重ねて成果を上げていただきますよう期待しております。
淳和記念館では、79歳の小田悠祐氏より元日本卓球協会会長・後藤鉀二氏の秘書を務めた経験を紹介いただきました。小田氏によると、中日国交正常化の直前、日本卓球協会は後藤元会長の指導のもと、「中日関係三原則」(中国を敵視する政策を執らないこと、「2つの中国」をつくる陰謀に加わらないこと、中日国交正常化を妨害しないこと)を遵守することを約束し、圧力に面しても中国卓球チームを「第31回世界卓球選手権大会(名古屋大会)」に招待しました。その結果、アメリカ代表団のコーワン選手が中国代表団のバスに間違えて乗り込んで、中国代表団の荘則棟選手が挨拶し、贈り物をしたという歴史的事件が起こり、「小さなボールが大きなボールを動かす」と称される「ピンポン外交」が生まれました。劉氏は、後藤鉀二先生が中日友好に歴史的な貢献をされたこと、後藤家の子孫や小田氏らが数十年にもわたり、この歴史を大切に守り伝え続けてきたことは極めて貴重であると評価し、「後藤鉀二氏の精神を発揚、淳和記念館をしっかりと運営し、人々や物事のふれあいを通じ、物静かに浸透させるような中日民間交流を着実に展開していただきたい」と要望しました。
トヨタ自動車本社では、同社執行役員・中国本部長の上田達郎氏が以下のように述べました。トヨタ自動車は中国の改革開放プロセスに熱心に参加し、中国市場に根ざして相互利益とウィンウィンの関係を築いてきました。先日、トヨタ自動車の責任者が中国指導者と直接対話する機会を得ることができ、我々は大いに励まされました。現在、トヨタ自動車の本社拠点は約5万人規模となっていますが、中国の現地従業員数は4万人を超えています。今年は中国への投資を維持・拡大し、中国に多数の優秀な科学技術人材が存在するという強みを活かし、現地化プロセスをさらに推進していきます。劉氏は、自動車産業が中日両国の近代化プロセスにおいて重要な役割を果たしてきたことを指摘し、そして次のように述べました。4月に開催された中国中央周辺工作会議では、周辺諸国との発展融合の深化させ、高水準の相互連結ネットワークを構築し、産業チェーン・サプライチェーンの国際協力を強化することが明確に打ち出されました。中国は引き続きハイレベルの対外開放を拡大し、一流のビジネス環境を整備し、トヨタ自動車を含む外資企業の中国における投資や事業展開を一貫して支援してまいります。