駐名古屋総領事劉暁軍「中日新聞」に署名入り文章を寄稿
2022-07-04 09:27

  7月3日、駐名古屋総領事劉暁軍は「中日新聞」に「山高く水長し」をテーマに署名入り文章を寄稿しました。全文は以下の通りです。

  五月十四日、私は富山県南砺市を訪れ、中日友好に尽くした日本の政治家、松村謙三先生の墓参りをしました。

  二十世紀一九五〇年代、世界が冷戦の暗雲に覆われている中、中日は政府間の外交関係はおろか、むしろ互いに対立した国同士と言えます。こうした中、松村先生は反対の声を押し切り、五九年に保守派政治家として戦後初めて中国を訪問しました。新中国の目覚しい発展を目の当たりにした先生は、中日国交正常化の必要性を強く感じました。「囲碁」や「ラン」の交流を通して、先生は中国の指導者と深い友情を結び、中日両国の貿易往来と民間交流を力強く推し進め、国交正常化の地固めを行いました。

  「中国と日本のきずなは、今はまだ細く弱い。しかし、絶対にこのきずなを断ってはいけない」と、七十年、八十七歳になった先生は、体がかなり弱ったにもかかわらず、五度目の中国訪問に旅立ちました。だが、中国から帰ってきた後、先生の体調が一向に優れず、七一年に静かに息を引き取り、生涯を国交正常化にささげました。

  「先生の風、山高く水長し」、これはお墓の碑に刻まれた中日友好協会名誉会長の郭沫若氏からの詩文です。先生の遺風は山がそびえ立つように高潔で、川の流れのようにいつまでも伝わっていくとのことです。ご逝去の翌年の七二年、先生がまいた友好の種は芽を出し、長年願い続けてきた中日国交正常化がようやく実現しました。

  以来、中日関係は半世紀の風雨を経て、各分野における交流と協力は質的な飛躍を遂げました。しかしながら、五十年後の今日、世界は新たな激動変革期に入り、中日両国は決して好ましい関係にあるとは言えず、もはや進まなければ後退するという重大な岐路に立たされています。今だからこそ、もう一度国交正常化の初心に立ち戻り、松村先生を代表とする両国の先人の立役者たちから、謙虚に知恵と勇気を汲み取る必要があるのではないでしょうか。

  アジアの平和は、日本と中国がしっかり手を結び合わないと実現しないというのが松村謙三先生の信念でした。より明るい中日関係、そしてアジアの未来のために、先人から中日友好の使命を受け継ぎながら、共に手を携えて、果敢に前へ歩んでいきましょう。


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